南大分マイタウン 本誌 第415号・令和2年10月1日

団塊世代1期生の思い出⑥

大友氏顕彰会副理事長 若杉 孝宏(ふじが丘在住)

三ケ田町商店街と祖父・政喜

 当時(戦前から)の三ヶ田町商店街は、南部の田尻や宗方など稙田地区、賀来や東院、宮苑など西部地区の人たちの買い物の中心だった。大分市中心街に行くには、旭町と大道の境にある堀割峠を越えなければならず、馬車もバスもあえぎながらやっと登るというような難所だったのだ。それで三ヶ田商店街が繁栄したということである。 

 昭和30年4月7日に開通した大道トンネルによって南大分地区は人口が増え、新しい道路が開通し、全体としては発展著しい地域であった。ところが商店街にとって反作用を招いた。新道路沿いに店ができたり、バスの便が多くなり、あるいはモータリゼーションにより中心街まで楽に行けるようになった。そんなことで三ヶ田町商店街に止まらず通過するのみとなり、衰退が始まるのである。この現象は現在でもよくあることだが、高速道路開通によって逆に衰退する地域が出てくるのと同じことがこの頃から現れていたのだ。 

 この三ヶ田町商店街は、あらゆる業種の個人商店の集まりで、当時、日本全国どこにでもある田舎町の商店街の典型だろうと思う。

 北は峠の登り口旭町との境(大橋〈おおばし〉と呼んでいた)から1組とし、約600m南下した久大線の踏切までが10組で、8組の東が二又と呼ばれる11組である(小・中学校はこの地にある)。商店街を貫く道は”往還“

(明治時代、明磧橋が出来てそれから峠を超える道が新たな大分市中心部から熊本への道となり、肥後往還と呼ばれるようになった)といって踏切までは舗装(昭和12年頃)しており、人が入れる下水道まで通っていた。おそらく四つ角の地下を通っている初瀬井路に排水していたものと思われる。

 なお、このインフラ整備は、祖父政喜たち三ケ田町の有力者の市議会議員時代の業績だという。また祖父は、南大分の商工業者の会合場所として城南亭を建設、運営は甥の安部つよし氏(豊饒の安部家に嫁いだ政喜の姉の子)に任せた。この城南亭に関しては次のことがあった。

 戦後、父は税金の高さに疑問を持ち調べた結果、祖父の所有になっていたことが判明。昭和15年、ちゃんとした経緯を家族に説明無しに他界したため、長い間若杉家の所有のままになっていて税金を納めていたのである。甥の安部つよし氏に問いつめると「叔父がくれると言った」。口約束だけで証拠も何もないので後に格安にて売却した。そういうこともあって、政喜の法事の仕出しは格安にしてくれていたそうである(タダでもいいと思う)。政喜は自分の叔父でもあるのだから当然だろう。あまり意識したことはなかったが安部家は親戚なのだ。その城南亭は、その後城南閣と名称を変え発展、二代目になってしばらく順調に営業していたが、現在は葬祭場になっている。

  ついでに最近知った事実を記す。平成27年1月28日、ウオーキングの下見で城南神社を訪れ、その鳥居の寄進者をみると、なんと祖父若杉政喜の銘が刻まれていた。隣に森七郎(森七酒店)、和田谷(帽子屋)、幸八郎(茶屋呉服店)とあり、当時の三ケ田町の有力者の面々が連なっている。境内には日露戦役の記念碑もあり、そこにも刻まれている。今までまったく知らなかったし、家族で話題に上がったことすらない。ただ政喜はあちこちに寄附し、また親戚や知人の子弟の教育費や商売の手助けや公的な活動をしていたというのは聞いていたが、その証明となる物を見たのは初めてである。 

 他に宗方の郷土史に日露戦役時に輜重1台寄附とある。因みに日露戦争は明治37年のことだから若杉家の婿養子になった直後・本人22か23歳ころだ。南大分の神社仏閣を捜し歩けばまだあるかもしれない。

 

愛犬コロ

 さて、自分の記憶ではあるが時系列で思い出せないので、後先は別にして5歳までのことを記してみよう。

 昭和26年のことだと思う。一番最初に思い出すのは、コロという柴犬がいて家族全員から可愛がられていた。この犬は家族にとって大変可愛いのだが他人に懐かず、よく吠え噛みつくといった番犬としては申し分ないが問題のある犬だった。当時は放し飼いが一般的だったため、被害者が何人もあったのだろう、泣く泣く捨てることになった。目隠しをし、マーキング出来ないように箱に入れ、自転車の荷台に載せて親戚である祖父政喜の実家である宮苑の奥まで彰おいさんが捨てにいったのだ。

 それから約1年以上過ぎ、すっかりコロのことを忘れたころだった。みんな家の中にいたから昼食時か夕食時だったのだろうと思う。だれかが

「チョット、犬のなき声がせんかえ?」

「ああ、するする」

「あらっ!もしかしたらコロやねんかえ」

「そげんはずはなかろう」

 そしてだれかが坪に出てみた。

「わーっコロや、コロや、コロが帰ってきたー!」

「えっ!なにえ、ホントにコロかえ!」

 それから家族全員が外に飛び出した。そこにはやせ細ったコロがいた。最初は少し遠慮がちだったコロはすぐに喜びを全身で表し、家族のひとり一人を確認するように順番に飛びついた。

「1年も過ぎちょんによう帰ってきたなー、ほんとによう帰ってきた」

 と何度も何度も家族全員がコロを抱き、泣きながら再会を喜びあった。そして誰かが言った。

「もうコロを捨てめーえ」

「そうやな」

「宮苑からよう帰ってきた頭のいい犬や、もう捨てんよ」

 と言ったはずだ母が。

 犬好きだったばあちゃんももちろん異論あるはずはなく、また飼うことを許したようである。

 しかしコロの気性は変わらず、数日もしないうちにやはり他人に迷惑をかけだした。

 そんな頃、湯布院駐屯地から市内に向け、進駐軍の車列が往還を通過する。昭和25、26年と言えば朝鮮戦争の頃だから当然と言えば当然、頻繁にこの往還を通っていた。こともあろうにコロはその大型軍用トラック、通称”十輪車“に向かって吠えたてたのだ。

 見ていた家族はコロの名を懸命に呼びながら止めさせようとしていた。最初の2、3台は吠えながら2、3歩動くだけだったが、ある1台に向かって追いかけて吠えたてた。 たぶん乗っている米兵が何か言ったか物を投げたかしたのではないかと思う。後から車列が続いていたのでこれは危ない!とみんな大声でコロの名を叫んだ。コロは追いかけるのを止めたその刹那、後続の十輪車にひかれてしまったのだ。まともに胴体をひかれ腸が鮮血とともに飛び散った。後続の十輪車が止まったのかどうか、その後の様子はあまり憶えていない。とにかく泣くだけだった。

 こうして愛犬コロの一生は衝撃的なシーンで幕を閉じたのだった。コロに関しては家族全員(末子和美は?)の共通した思い出である。

 

良家のおぼっちゃん

 幼稚園時代結構躾には厳しかったのではないかと思っている。そのひとつ、といってもそれしか思い出せない…。  朝起きると枕元には”おめざめ“が置いてある。そして顔を洗って歯をみがき、床の間と仏壇の前に座っている両親に向かって正座し、手を付いてお辞儀をしながら

「おとうさん、おはようございます。おかあさん、おはようございます」

 と言わされていたのである。仏壇にも手を合わせていたはずだ。今思えば良家か旧家のお坊ちゃんのようではないか。しかし、その習慣も長く続かず、小学校に上がる頃にはしていなかった。(つい先日、兄自身にそんな記憶はないというから子どもの性格に合わせた躾だったかもしれない。僕は幼稚園時代、月謝の使い込み事件を起こしていたのだ。良家どころの話ではなかったのである。67年ぶりの真実だ)

 それを心配した母は「うそをつきなさんな正直が一番、曲がったことはしなさんな、あいさつをちゃんとしなさい」など、人間として基本的なことはしょっちゅう口にしていた。また自分は幼稚園で起きた事をよくしゃべっていたようである。小学校にあがってからは良く憶えているが、母は僕の話をよく聞き反応してくれていた。その反応はたいがい肯定しほめ、そして喜んでくれていたのでそれが嬉しかったに違いなかった。幼稚園の思い出はたくさんあると30代の頃は自信があった。でもその記憶はやはり年とともに希薄になっていくようだ。それで若い頃の僕は、自分の子育てに生かされていたと思っている。長男長女を育てる際、自分の4、5歳頃を思い出しながら子どもの気持ちを推し測り接していた。だから子どもの気持ちが全く分からないというようなことはなかったと自負している。しかし女の子は男の子に対するほどの自信はない。

  今は孫5人が1歳間隔で毎年成長していく。自分の子とはまた違った接し方になるが、可愛さは変わらない。少しオーバーに言えば神から二回目の子育ての喜びを与えられている。ところが家内に言わせると 「アンタは孫よりも自分の趣味を優先しちょって、決して

”孫にめがない“じいちゃんじゃない」らしい。盲目的に可愛がるだけが愛情じゃないと思っているが、 「じいちゃんは、ただ可愛がるだけでいいんや、躾は親に任せとけばいいの!」この答えは十数年後にでる。後悔先に立たずでなければ万万歳だ。

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豊府校区社協が校区内 最高齢者 小野シズヨさんを顕彰

 豊府校区社会福祉協議会(後藤賢一会長)は、9月17日校区最高齢者の小野シズヨさんを顕彰した。小野さんは大正8年10月10日生まれの100才。俳句や生花が好きで、毎朝新聞を読んでいる。女学生の頃は水泳や山登りが好きで、日光や箱根を歩いたこともあるという。

 話を聞いていると、こちらは大湯鉄道(今の久大線)初代社長の小野駿一氏の実家であった。

 同社協は他に校区の米寿者53名全員を顕彰した。

小野シズヨさん.JPG

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