南大分マイタウン 本誌 第416号・令和2年11月1日

大友氏四〇〇年97 大友氏ゆかりの地を訪ねる31

NPO法人・大友氏顕彰会 理事長 牧 達夫

◎南蛮文化・府内(その一)

①デウス堂跡 大分市顕徳町二丁目

 大友氏館跡から道を隔てた西側の住宅地に、「デウス堂跡」の石碑が建っている。その横に説明文がある。

 それによると、この付近に天文二十二年(一五五三)六月、府内の礼拝堂が建立され、高い十字架が建てられたという。これが府内教会(デウス堂)で、「わが慈悲の聖母教会」と呼ばれた。これが豊後で最初の教会といわれている。

 これは、ザビエルが豊後を出帆して一年半のことであり、宗麟との約束が果たされたものといえる。

 これ以降、大友宗麟の保護もあり、府内を中心にキリスト教は次第に広がっていき、弘治(一五五七)には府内には二〇〇〇人のキリシタンがいたといわれている。教会では毎日ミサが行なわれ、少年合唱隊がオルガンやビオラに合わせて聖歌を歌ったり、宗教劇が演じられたという。

 さらに府内に西洋医術の府内病院や大学校(コレジオ)も設立され、南蛮文化の香り高い都市として発展していった。

〈遊歩公園 大分市府内町〉

 府内城大手門前の昭和通りを隔て、大分県庁前から南に延びる道路(中央の緑地が伸び両側は車道)の緑地部分は、遊歩公園といわれ、この公園の中に、「フランシスコ・ザビエル像」「育児院と牛乳の記念碑」「西洋医術発祥記念像」等々、豊後大分の先進性を伝える記念碑が立ち並び、当時(大友宗麟時代)の文化を今に伝えている。

 これらの記念像・碑は、戦後の大分市の復興・発展に奔走した元大分市長上田保氏が、南蛮文化顕彰のため、私費を投じて寄贈したものである。

② フランシスコ・ザビエル像

 大友宗麟はザビエルと運命的出会いをしたといわれている。

 ザビエル像は右手を前方に挙げ、左手には十字架がしっかりと握られている。ザビエルの厳しさの中に温かみのある眼差しと、話しぶりに、宗麟は茲父のような感銘を受け、キリスト教を保護し、南蛮文化を受け入れたのであろうか。

③西洋音楽発祥記念像

 西洋音楽は一五五五年、オルガンの演奏で日本で初めて賛美歌を合唱したといわれている。像は外国人神父がバイオリンを演奏し、日本人三人の着物姿の童子が歌っている。

 また、一五六〇年七月、ビオラを教わった少年たちが宗麟の前で演奏し喜ばせたといわれている。

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南大分公民館の教室・講座 後期が始まる

 10月から南大分公民館の教室・講座の後期が始まりました。といっても、前期はコロナの影響で中止になったので、実質前期が始まったのと同じことですが。

 10月17日は、子ども「新舞踊教室」と「子ども料理教室」が開講しました。

 新舞踊には12名が出席し、松宗寿栄丸先生の動きに合わせてさっそくお稽古を始めていました。今から来年の芸能文化祭が楽しみです。

 料理教室には15名ほどが参加し、南大分公民館の橋詰先生の指導で、鶏丼とヨーグルトムース作りに挑戦。できた料理を全員でおいしく食べたよ。

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