南大分マイタウン 本誌 第413号・令和2年8月1月

団塊世代1期生の思い出④

大友氏顕彰会副理事長 若杉 孝宏(ふじが丘在住)

初瀬まつりとお神楽

(一)

さーっさ よいやさー よーいやさのせー  藤は紫 柳は緑 赤いツツジが 目にしみる さーさ伸びたよ 伸びたよ早苗 忘れまいぞえ 初瀬の井路の つきぬ恵みの水の恩 さーさよいよい水の恩

 (二)

さーっさ よいやさー よーいやさのせー  青田千町 穂に穂が咲いて 揺れる黄金の 花の波 さーさ黄金の 花の波 忘れまいぞえ 初瀬の井路の つきぬ恵みの 水の恩 さーさよいよい 水の恩  

(三)

さーっさ よいやさー よーいやさのせー  慶安三年 九万の衆の 音頭取るのは 日根野さま さーさ築いた 築いた井路よ 忘れまいぞえ 初瀬の井路の つきぬ恵みの 水の恩 さーさよいよい水の恩

 初瀬まつりのテーマソングである。

 三ヶ田町を中心とした南大分の団塊世代以上の人たちにとっては懐メロである。懐メロと言えばこの昭和27年、渡辺はま子の「サンフランシスコのチャイナタウン」が流行っていて、この曲を聴くと初瀬祭りを思い出す。この祭りはそんなに古くはなく、戦前に始まったと聞いており、戦争で一時中断、戦後数年で復活、ちょうど僕の記憶はその頃だろうと思う。  昭和30年になると大道トンネルができ、新道が鯉飼い場の接合点まで伸びてその手前に公園ができ、そこが会場になるのだが、昭和27〜29年は、四つ角の谷川商店と原産婦人科の間の初瀬井路の上に舞台を組んでいた。また秦タケさんの家の前の坪を利用して舞台を組んだ年もあったように記憶している。よくもあんな狭いところに組んだものだと感心する。

 その舞台の左右や向かいに屋台が並び、鞍馬天狗のお面や刀、時のヒーロー・黄金バット、怪人二十面相、ブリキの車や、ポンポン船などのおもちゃを売っていた。会場は道路上なのにバスは通行禁止にしていたのだろう(この時期バスは往還〈旧道〉を通っていた)。今で言う歩行者天国ではないか。子どもには広かったが大人から見れば狭く、御神輿を練って歩くにも危なかったろうと思う。実際、暴れすぎた御神輿が初瀬井路に落ちた記憶も鮮明に残っている。この御神輿は永興神社に奉納されていたようだ。たいそう立派な物で、記憶している形では平安・鎌倉期の様式のようで、江戸期の様式でないのは自分の知識に照らしてみて明らかである。 

 5円か10円くらいはもらったかもしれないが、おもちゃを買えるほどの金額ではなく、せいぜい塩昆布かイカの足、または綿菓子くらいは買って食べたのは憶えている。  前というか裏というのか、庭を挟んだ隣の原医院のひろのぶちゃんがおもちゃの自動車を2、3台持っており、座敷に上がって遊んだことを思い出す。また、お祭りの前日は”よど“といって農家あたりではその前に餅をつき祝うのである。商家であった我が家ではそんな風習はない(戦前の分限者時代にはあったかもしれないが記憶にない)ので餅はないが、でもそれで羨ましく思ったことはない。

  お祭りのメインは初瀬音頭の踊りと練り御神輿とお神楽である。日数や順番は思い出せないが、踊りは例の”初瀬音頭“をバックに会場の道路を細長く楕円で回るのである。また、御神輿を担いでいたのはおそらく中学を卒業した16歳以上の若者だっただろう。そして子どもにとって一番の楽しみはお神楽である。

 岩戸開きは子どもにとってあまりおもしろくなく、少し飽くシーンである。クライマックスは何といっても素戔嗚尊の「蛇切り・おろち退治」だ。その時間は暗くなり始める夕方で、蛇の口から赤や黄色や青色の火を吐きながら素戔嗚尊と格闘するのだ。まさに手に汗を握る場面である。その前にも1回クライマックスが来る。

  違う演目で、それは柴たたきという(他に柴取り、柴引きとも)。小学3〜6年生の子ども達が舞台に身を乗り出して舞い手の鬼をたたく。しばらく我慢した舞い手の鬼が怒って子ども達を捕まえよう舞台を降りようとする。

 すると子ども達は蜘蛛の子を散らすように逃げまどう。鬼はそれを追いかけ回すのだが、なかには泣く子もいて大人が見て可愛かったろうと思う。小学1年生では小さすぎて参加できない出し物である。このシーンは城南神社のお祭りの時の方が強く印象に残っている。

 前述したが、大道トンネルができると同時に新道ができ、三ケ田町公園ができた。それから初瀬祭りの会場はここに移る。そこには常設の石舞台があり、お神楽はそこで演じられた。今まで祭りの参加者は主に三ヶ田町、永興、旭町、田中の人たちだったが、広さが全然違うので、南大分全域から見物人が来るようになった。そして祭りのクライマックスはやはりお神楽で、舞いはしかとは憶えていないが庄内神楽や挾間、小野屋、野津原などの神楽座だったようである。

 どの座か知らないが大太鼓を打つ人がすごく格好良く、人気があった。後年、それは城東中学校の理科の教師で野田先生ということが分かった。僕の妻・千代が城東中学時代教わったということだ。余談だがその野田先生のご母堂は若杉本家の出だそうである。これはご本人から2年前聞き出したことだ。野田先生は現在深河内に在住し、地質学者として大分県内では権威である。※平成21年記述。

 

ボートが沈む!

 1年生の夏の記憶はまだある。小学校6年生兄・昌宏の担任、川野先生が関西か関東かに出張するというので、そのクラスの児童生徒が西大分港に見送りに行った。

  西大分港までの行きの風景は思い出せない。バス、電車を乗り継いで行った筈である。桟橋で関西汽船のるり丸かこがね丸が関西方面に向かう前、別府港から西大分港に寄港する。昔は関西方面へは汽車よりも瀬戸内航路が人気があった。西大分港の桟橋は浮桟橋で波が強いとわずかながら揺れる。コンクリートの塊が浮くなどというのは幼児の僕には不思議でならなかった。

  待ち時間が相当あり手持ち無沙汰だったのだろう、兄たち男子生徒4、5人が貸しボートに乗ることになった。たぶん僕も誘われたようだが怖くて断ったと思う。

 桟橋から灯台の方に漕ぎだしてだんだん遠くなっていく。と、空模様がおかしくなってきた。ぽつりぽつりと落ちて来てたちまち夕立ちとなった。ボートはまだ遠い。この雨で沈没するのではないかと不安になって来て、もしかしたら兄が死ぬのではないかと恐怖におそわれ突然わーっと泣き出してしまった。川野先生がボクをなだめるのだが恐怖は去らない。しかしその夕立ちは数分で止み、ボートが桟橋に戻って来た時にはほとんど止んでいた。兄はボートから上がって来て笑いながら僕をなぐさめたようだ。他の生徒たちも1年坊主が可愛かったのだろう、みんな笑っていたように思う。今でも西大分港に行くと時折その情景が思い出される。

  先日(平成21年11月23日)ウオーキング大会で兄と一緒に西大分港でお昼を食べた折り、兄もまた当時の思い出がよみがえったらしく、ほぼ同時に口に出した。

 それによると、実はボートの貸し出しは灯台の元にあり、僕も最初から乗っていて夕立ちに遭い、泣き出したので仕方なく先に桟橋に降ろしたということだった。そしてボートを返すために夕立ちの中また漕ぎ出していったから、その後の状況はほぼ正確である。幼児期の記憶は以上のような違いがあるようだ。もちろん細かい描写はある程度想像・脚色しており、すべて真実ということではない。 

 

好奇心旺盛な高学年時代

(新聞配達で得たもの)

 小学3年の夏休みから新聞配達を始めたことは前述した。販売店は田中町の同級生・三浦ヤエ子の家だ。そこの長男夫婦が経営していた。

 たしか朝日と毎日の両新聞を扱っていたと思う。兄昌宏は中学2年生で”管理職“。兄の仕事は大分駅まで新聞の束を取りに行き、三浦販売店まで持って帰って、後輩たちの配達地域を監督しながらも担当地域も持っていた。その役目は僕が中学になって引き継いだ。僕の場合は、担当地域はなく、休んだ子がいると代ってその担当地域を配るのである。 

 中学になったときは販売店が畑中の秦正己先生の家に代わっていた。その前の一時期、三浦の隣の安部米穀店が販売店を引き継いだ。ここの息子が一つ下で名前が「こうちゃん?」だったか。ここの奥さんも非常にやさしく、配達時間が来るまでよくおやつを出してくれていた。

 僕の担当地域は学年によって変化し、中学3年の夏には辞めたが、ほぼ6年間、南大分全域を担当した。

 仲間は5、6人いたと思うが覚えているのは同級生の木田よしゆき、谷川まさる、山本年樹。あと何人かは、あまり続かなかったので記憶が薄い。

 大分合同新聞は昔から朝夕刊セットは自社のみとうたっているが、当時、朝日・毎日にも夕刊があった(これは全国紙。合同は地方紙だからウソではない)。統合版といって朝刊のみもあり、購読料が若干安かった。全体の2割ぐらいを占めていたと思う。

 新聞配達中の思い出も結構多いが、新聞小説を楽しみにしていた時期があった。歴史小説で源義経か柳生十兵衛かが主人公だったような気がする。そこでネットで当時の新聞小説を調べると、毎日新聞で「新・忠臣蔵」が1956年4月〜1961年7月掲載とあり、該当する小説はこれしかない。朝日新聞には該当するものがなかったが、網羅されているのだろうか?それとも自分の記憶違いか。

 兄によれば三浦販売店は朝日しか扱っていなかったという。しかし自分の記憶では「中学生新聞」があった。ネットで調べると、戦後に毎日新聞が日本で初めて中学生向け新聞を発行とある。朝日が同じような中学生新聞を発行したのは1967年とあるので間違いはない。

 考えられるのは、安部販売店に変わったときに両紙を扱っていたとすれば納得だ。

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