南大分マイタウン 本誌 第414号・令和2年9月1日
大友氏四〇〇年94 大友氏ゆかりの地を訪ねる29
NPO法人・大友氏顕彰会 理事長 牧 達夫
◎大友氏府内のまち(その三)
四、もう一つの大友館・上原館跡 大分市上野丘西
県立芸短大の西に小高い丘が見える。ここは、顕徳町の大友館跡が発掘されるまでは大友館は一つとされ、かつての小説、白石一郎の「火災城」、遠藤周作の「王の挽歌」、赤瀬川隼の「王国燃ゆ」等々に登場する舞台、上野大友館跡である。
上原館跡は東西一三〇メートル、南北一五五メートル余りの敷地で、周囲には幅一〇〜三〇メートルの空堀と南と西は土塁で仕切られており、防御に特段の対策が取られている館跡といえる。また、館は小丘台地に自然の地形を利用してつくられており、東と北は崖となっている。
いまの史蹟では南側の土塁の一部が残っているだけで、かつての館一帯は住宅で埋めつくされている。
往時は眼前に別府湾に浮かぶ南蛮船、眼下に府内大友館、万寿寺の大伽藍、教会、西洋式病院等を中心とした府内の町並み、そして大分川が望める景観であったにちがいない。
五、現在の万寿寺 大分市金池町
一三〇六年に大友氏第五代貞親によって建立された万寿寺は、かつては現在地より東南の大分川沿いの元町に、広大な寺域をもち五山十刹の十刹に列せられていたが、天正一四年(一五八六)の豊薩合戦で焼失してしまった。
一時廃寺となっていたが、江戸初期の寛永十年(一六三三)に僧丹山が、府内藩主竹中重義の支援を得て現在の地に再興した。
山門から眺めると歴史の重さが感じられ、広い境内には本堂・仏殿・禅堂・庫裡・経堂・観音堂・山門などが建ち並んでいる。
境内に市指定有形文化財の国東塔などがある。
六、万寿豊府稲荷社 大分市金池町
稲荷社は万寿寺の東方に位置し、大友第五代貞親公が一三〇六年(徳治元)に万寿寺を創建した当時からの鎮守であるといわれている。
宝暦十一年(一七六一)、大本山妙心寺より山門鎮護の稲荷宮へ正一位豊府稲荷大明神として免許された神殿という。
「家運隆昌」「祈願成就」「火伏せの神」として信仰されてきた。(万寿寺より)
七、まこもヶ池(万寿寺の伝説) 大分市の元町
百合若大臣が豊後の国司であった時、大臣に対し反逆を企てる家臣(別府兄弟)がいて、大臣が国外にいることを幸いに、大臣のお妃を殺そうとした。この時、屋敷の門番の翁が自分の娘の万寿姫をお妃の身代わりとして池に入水させて百合若大臣の妻を助けた。
こののち百合若大臣は豊後に復帰、万寿姫を弔って建てたのが万寿寺だといわれている。現山号の蒋山もこれに由来しているといわれる池である。
なお、このまこもヶ池の前に、大友氏中興の祖といわれる大友親世の五輪塔があるが、親世はこの地周辺で亡くなったといわれている。
南大分軟式野球リーグ 7月の成績
新型コロナウイルスの影響で開幕が2ヵ月遅れた「南大分軟式野球リーグ戦」だが、5月の緊急事態宣言解除後の6月から試合を開始、現在までのところ雨も降らず順調に試合が進んでいる。8月の試合結果は次の通り。
8月9日葬祭場グラウンド
クラブマルソウ
100000 1
100001 2
三ヶ田クラブ
(6回時間切れコールド)
(ク)蔵元晃−蔵元年
(三)寺次、三代−古手川
マイナーズ
30200 5
3307× 13
ビーナスクラブ
(5回コールド)
(マ)平川、木村−安部
(ビ)秋吉、大谷−後藤、秋吉
(本塁打)安部(マ)中町人(ビ)
この結果、ビーナスが全勝でトップ、以下のチームは後半戦の巻き返しが期待される。