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南大分マイタウン 本誌 第394号・平成31年1月1月

大友氏四〇〇年75 大友氏ゆかりの地を訪ねる9

NPO法人・大友氏顕彰会 理事長 牧 達夫

○田北氏

 田北氏は、大友二代親秀の七男、親泰を祖とする大友一族で、直入郡田北村、速見郡日指村の地頭職として活躍した。

 炭酸温泉で有名な長湯温泉北方丘陵一帯が田北氏の本拠で、いまも上田北、下田北、小都留、城後、塩手、石合(野津原)など、田北一族の名を示す地名が残っている。

 田北氏の長い歴史の中で主な武将をみてみよう。

 田北親員は田北氏一三代で、大友二〇代当主大友義鑑の重臣として朽網親満の乱に活躍、一五二七年の栂牟礼城主佐伯惟治の討伐では、長子鑑生とともに出陣し山香衆の指揮をとった。

 一四代鑑生は宗麟時代の加判衆で、筑前、筑後の方分として北部九州制圧に尽力した。また、山香の日差村に四所神社を創建している。

 一五代鑑重(紹鉄)は宗麟の側近として申次職にあった。弘治二年(一五五六)、叛乱を起こした小原鑑元(肥後関城城督)らに対し、田北一族、玖珠郡衆を率いて出陣し誅伐する。また、永禄二年(一五五九)、筑前秋月文種の大友氏への謀叛には、田北氏は戸次、臼杵、吉弘、志賀、一万田氏らと秋月攻めに出兵。さらに、永禄五年(一五六二)、大友、毛利の門司城合戦に山香衆を率いて奮戦する。

 だが、天正六年(一五七八)の島津軍との日向高城合戦に敗北した大友軍は、多くの有能な武将を失ってしまうが、田北紹鉄の弟鎮周(山香蚊ノ尾城主)もこの戦で先陣をつとめ、壮烈な戦死をとげる。

 大友氏の日向敗北後、龍造寺氏や秋月氏が反大友で挙兵、豊後国内でも反宗麟、反キリスト教の気運が高まり、国東の田原親貫が叛くと、田北紹鉄もこれと呼応するかのように叛旗を翻したという。

 紹鉄謀叛の真相ははっきりしないが、日向遠征を主張した大将田原親賢(日向合戦の指揮者・入道して紹忍)に対する怨みなど諸説あるようである。

 紹鉄は松牟礼城から出て熊牟礼城(庄内)に籠もって抵抗し続けると、かつての同志南郡衆(志賀、朽網、一万田、戸次氏ら)が、大友当主側から説得され、城を包囲せざるを得なかった。この中、紹鉄は熊牟礼城を脱出して筑前秋月方面へと逃走の途中、松原村(日田大山)で日田郡衆の手によって討たれてしまう。

 田北統員は日向合戦で討ち死にした田北鎮周の婿養子で、実父は豊後高田の大友一族、吉弘鎮信である。実父鎮信もまた日向合戦で戦死している。

 統員は天正一四年(一五八六)の島津軍の豊後侵攻に際し、大友義統の検使として佐伯惟定の栂牟礼城近くに陣を構え、因尾での島津軍との戦いでは、敵軍を打ち払っている。統員はその後文禄の役にも出陣するが、大友氏除国後は細川氏に仕え、熊本に移り住んだという。

 一方松牟礼城の田北鎮利は、統員が一族を率いて佐伯にあったため、わずかの手兵しかおらず、島津軍にやむなく降るしかなかったと思われる。

○松牟礼城跡と智雲寺 竹田市直入町上田北

 もう十年以上も前の春、田北氏ゆかりの地を訪ねようと長湯温泉から北に向かったが、一帯は丘陵地で山深く、田北氏の本拠松牟礼山がどこかも見当がつかめなかった。

 やっと下田北で人から、先ずは田北氏の先祖供養を行っている智雲寺を訪ねたら、とのアドバイスをいただいた。さっそく智雲寺を探し訪ね、住職から話を伺うことができた。

 話では前住職田北大善一七世(当時田北松牟礼会会長)の時、松牟礼跡に記念碑建設のはなしが持ち上がり、昭和五〇年一二月、大善住職の表示に碑銘を入れた高さ3メートルの記念碑を、松牟礼城頂上に建立したとのこと。

 その日、松牟礼城跡に登るには、時間的にも、歴史会の仲間の身なりからも無理と判断し、他日を期すこととした。

 ところが他日を期すと言ったものの、忙しさに紛れてその後六年の歳月が流れた平成二十八年春、大友氏顕彰会の副理事長・若杉さん(田北氏の末裔)に頼んでいっしょに松牟礼(城)山を目ざした。

 有名な武将田北鎮周と嫡男国尚の墓に参り、車で松牟礼山に登った。まさか車で登れるとは思ってもいなかったが、前述のごとく昭和時代に松牟礼城跡の記念碑を建てた時、車道も造ったのではないだろうか。

 頂上近くまで車で登り、徒歩で三〇〇メートル程度北方面へ歩くと立派な松牟礼城跡の記念碑があった。この辺りが城の中心と思われる。城跡周辺は断崖絶壁で、東西は谷が深く山波が続き、南には往時の空堀の跡があった。まさに中世の山城にふさわしい要害である。

○宝積禅寺と城山

 智雲寺から少し南に田北氏の菩提寺である福原山宝積寺がある。親員、鑑生、紹鉄、鎮周らの位牌が安置されている。

 宝積寺の裏手の小丘が「城山」とよばれており、現在城山八幡社が祀られている。伝承では田北氏がここを拝領したとき、城を築いたといわれている。若杉さんは城後(田北氏)の地名はこの背後に位置しているからでは、との見解である。

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だしものいっぱい 愛あいの会

 毎年恒例の「愛あいの会」が12月13日羽屋公民館であった。野菊の会員、来賓、主催者の校区民生児童委員を含めて120人の出席。古国府の獅子舞、新見康博先生のギター演奏、トナカイとサンタ、景品付きくじ引などいっぱいのだし物で盛り上っていた。

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園田百喜さんが活躍 城南々町で防災訓練

 12月17日城南々町(堀和則会長)の防災訓練が城南中央公園であった。消火器の使い方実演、大きな地震の後のガスの付け方、怪我人を運ぶための応急担架の作り方、非常食の試食などがあった。約80名が参加した。

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三ヶ田町で親子Gゴルフ大会

 12月9日三ヶ田町(角喜八郎会長)で親子グラウンドゴルフ大会が、三ヶ田公園であった。毎年の行事なので子供も上手だ。午後からはもちつきが行われた。約10㎏のもちを皆でつき上げた。

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