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南大分マイタウン 本誌 第401号・令和元年8月1月

大友氏四〇〇年82 大友氏ゆかりの地を訪ねる16

NPO法人・大友氏顕彰会 理事長 牧 達夫

◯弥栄神社(旧祇園社)大分市上野西山

 弥栄神社は現在、上野丘高校グラウンド西方の静寂の杜の中に佇んでいる。久大線古国府駅からは旧参道を上ると五〜六分の所にある。

 社伝によれば、奈良時代の七七一年、古国府岩屋寺境内に創建と伝えられているが、平安時代中頃から豊後でも疫病が流行り、御霊信仰が高まってくる。大友氏初代・能直は、豊後の民衆の疫病流行を憐れんで、京都祇園の疫神である牛頭天王を日野氏に祀らせ、祇園社を勧請したとされる。また、能直は祇園社に対し、いくつかの神領を寄進したといわれる。

〈祇園社の変せん〉

 現在の祇園社(弥栄神社)は、府内藩主竹中重義によって元和四年(一六一八)、現在地に移し再建されている。それまでは一体祇園社はどこに在ったのであろうか。未だその場所は特定されていないが、岩屋寺境内に在ったということから、現在の岩屋寺石仏の周辺、元町に近い元祇園・龍ヶ鼻の辺りではないかと思われる。

 天正十四年(一五八六)、豊薩合戦で島津軍が戸次河原勝利の余勢を駆って古国府周辺に侵入、大友の勇将吉弘統幸は祇園社を本陣とし、最後の攻防戦を繰り広げる。この戦いは後世祇園河原の合戦といわれており、大友軍の劣勢は否めず、祇園社をはじめ府内のまちは島津軍によって焼失されてしまう。

〈大友氏と祇園会〉

①祇園社の勧請は正治二年(一二〇〇)、大友能直の指示により、大友氏の家臣である藤枝氏と山崎氏によって執り行われた。

②祇園社の祭礼は、大友能直時代に始まったとされ、毎年六月十五日(新暦七月十五日)に祭礼が行われ、神輿が行幸し、十二基の山鉾が曳き出され、京都祇園会に劣らぬほどであったという。また、南北朝時代以降、山鉾の神事は「大友家大切ノ神事」として執り行われている。

③山鉾は、大友府内の商家から十二基が出され、この神事は藤枝・山崎氏を長とする大友家臣七苗(藤枝・山崎・吉本・小林・秦・安部・矢野)の十四家が頭人として執り行ったという。

④祭礼で奏でる八重垣や舞曲も頭人たちが代々伝授していった。祭礼全般は神官の任意とされ、それを領主・大友氏が統括するという形を取っていた。

〈大友宗麟・義統時代の祇園会〉

 この時代も府内祇園会と放生会(由原八幡宮)が、豊後府内の二大祭りとして大友氏が執り行っていた。(江戸・府内藩時代も同様であった)

 この祭礼には一万人を越える民衆が集まり、また大友領国内の各家臣らも府内に参集したという。もう一つの神事・神輿の渡御は祇園社から御旅所がある「祇園河原」まで巡幸した。

〈大友義統の『富家年中作法日記(一五九五年)』による府内祇園会と武士・町人らの活動を見る〉

○六月一日、桟敷奉行に任命された大津留、田吹、松崎、木村ら四名の武士は、山鉾の練り歩く各町に設置された見物桟敷を、全体的に統括する役であろうか。

 各見物桟敷の中で、特に「屋形桟敷」は大友家の菩提寺である万寿寺に設置され、大友家当主の座席を中心に左右に重臣の席が陣取られていた。

 また、「薬師寺文書」によれば、海部水軍の薬師寺氏は、祭礼で最も賑う六月十五日前後、祇園河原付近の水上警備の役目と、祭礼用の船鉾で練り歩く役だったという。桟敷で見物する民衆に、大友水軍の武威を誇ったものと思われる。

 山の担い手として、府内の四町から四本をはじめ、万寿寺の大工衆、山崎家、府内の惣大工衆から各一本ずつの計七本の山が恒例であったという。豊田寛三・安部聡子両氏の研究分析によれば、中世祇園会の山鉾町は「清忠寺」「上市」「工座」「下市」の四町を推測されている。

 これら四町は古図で明らかなように、大分川に沿って北方に伸びる大路筋の町であり、十一世紀に開かれていた「河原市」に起源を持つ、いわば、大友府内の発祥の起源をもつ町ということがいえるのではないだろうか。

〈江戸時代以降の祇園祭り等〉

 現在地に移った祇園社の祇園祭りは府内藩主が奨励する祭りで、大友時代に続き浜の市と共に府内城下の二大祭りとして賑わった。

 豊後(津留のち津守)に配流されていた徳川家康の孫・松平忠直公(一伯)は一六三六年の祇園社本殿の改築や神輿三基、葵御紋の太刀一振りを奉納している。神輿の製作は、祇園社の楼門建設にあずかった古国府の大友時代からの大工利光自休一族といわれている。

 祇園社は明治四年(一八七一)、弥栄神社と名称変更され、その後、県社となっている。

 弥栄神社になって間もなくして山鉾は廃止されたが、神輿三体の巡幸とお獅子の巡行は昭和の時代まで続き、祇園祭りは南大分一円はもとより、滝尾、稙田、大分市街地からの見物人で賑わいを見せた。

 今日では古国府町内の子供神輿、笛・太鼓を中心にお獅子、花傘の巡行が続けられており、伝統の祇園祭りを受け継いでいる。

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安部龍太郎氏(右)と弥栄神社を歩く筆者

賀来新川で防災講習会

 賀来新川町内(古田義彦会長)で7月7日防災講習があった。大分県防災活動支援センター副会長の一水勝徳氏を講師に迎えて、防災についての講演をしてもらった。同町公民館では約70名が聴講した。帰りは全員が非常食を持ち帰った。

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